「安心」できることの大切さ

少し前から「安心(感)」という言葉が連続で別方面から耳に入って、
最近よくこの言葉のことを考えています。

ある記事で、教育に演劇を取り入れる活動をされている方が、
間違ったことをしたくない、人と浮いたことをしたくない、という子どもたちにも自由に表現をしてもらうために、
”ここでは受け入れてもらえる”という「安心感」を作り出すことが大事、と書かれていました。

また、学校改革で有名な麹町中の工藤校長が講演で話されていた
2年生の合宿で行う対話の訓練の話も共通していました。
この訓練中はどんな発言にも「いいね!」と互いが返すようにしているのだそうです。
そうすることで、最初は後ろ向きだったりなかなか意見が言えなかった子どもたちも、
合宿の後半には積極的に参加するようになってくるのだそうです。

人はそれぞれ違うので、
自分らしくあろうとすると
人と違うことを言ったりしたりすることが当然発生します。
そういうとき、
こう言ったら馬鹿にされるかもしれない、とか
こんなことしたら変な目で見られるかもしれない、とか
そういうことを気にせずに自分をさらけ出すというのは
場合によってはとても勇気がいることだと思います。
だからありのままの自分を出して大丈夫、
と思える安心感がすごく大事になるのですね。

マインドフルネスもこの安心感とすごくつながっています。

瞑想中、不安や心配という「思考」から解き放たれると、
なんとも言えない安心感を感じられるようになります。
この感覚を知っていることはいろいろ助けになることが多くて、
日常生活においてもあることが気になって仕方がないときなど、呼吸に戻ると囚われていた心が緩みます。

さらに、相手をジャッジせず、ありのままに受け止められるようになることは
相手に安心感を与えることにもなります。
子育てにおいて言えば
「この子はこう」
とジャッジしないこと、
ありのままに受け止めることは
「自分は自分でいいんだ」という、いわゆる自己肯定感をはぐくみ、
安心感を高く持てる子どもに育てられると思います。

演劇教育の例も、麹町中の例も、マインドフルネスのことも、
結局、誰もが安心できる、とは、
誰もが相手のことも受け止められる、ということとセットなんだなあ、、
(そう考えると結構能動的な話・・・)

文字にしてみたら当たり前のことでしたが、しみじみ書きながら考えています。

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